ブログの読者の方より「オダキュウボイス10月号」「~11月号」をいただきました、どうもありがとうございます!

どっちもなかなか凄いのですが、まずは10月号。「こどもおだきゅう沿線文学賞」の受賞作がすごいことになっています。

>「おはよう、みずきちゃんと席替わってくれる?気持ち悪いんだって。」

と、いきなり緊張感をたたえて作文は始まります。

>「大丈夫?」と私は声をかけようとしたが、みずきちゃんは口をおさえた。

>私は、今にももどしそうなみずきちゃんを見て、何もしてあげられない

>自分をせめた。(どうしよう、どうしよう。)みんなも私も

>どきどきしていた。

・・・いやがおうにも緊張感が高まってゆきます・・・。

愛と無力、いたわりと痛み。

すごい筆力の小学生です。

そして、その後のあらすじを述べると、みずきchanのbomb!は炸裂し、

知らないお姉さんとおじさんが拭いてくれた、あのときのお姉さんとおじさんに

お礼が言いたい、というstoryです。

それで思い出すのは「みんてつ新聞コンクール」の受賞作。

こちらも吐瀉物ネタでした。わたしの記事→ ●

・・・・吐瀉物ネタは作文賞の王道か・・・。

・・・・それならわたしは作文賞を総ナメだな・・・・。

そんな冗談はともかく、たぶん、小学生にとって、自分や友達が吐く、おおおおおおお、吐く、というのは、身近にありながらショックを受ける事態なのだと思うのです・・・・ともだちが苦しんでいる・・ともだちが吐いちゃうの・・・・みずきちゃん、青い顔、指のすきま、ビニール袋、さっき食べたものが、リバース、ありえない順序で曲がった食道、もどす、もどす、ご飯粒、天の川、綺麗なブラウスもとっておきのスカートも汚れてしまって、こわい、こわい、死んでしまうの、いやだ、いたいの?、身体が裏返ってなくなってしまうの、こわい・・・

友達が吐く、しかも突然、というのは、まるで友達が刺されたり失神したりするのと同じような強度で、突然視覚に焼きつくショッキングな絵として頭に残ってしまい、その消せない恐怖感をなんとか理性的に安全に処理しなくてはいけないという思いが、こうしたすぐれた作文になっているのかなあと感じます。

わたしも本当のところは嘔吐恐怖みたいなものがあるかもしれません。嘔吐恐怖なのに嘔吐をネタに詩を書いたり、嘔吐についてみだらに燃え盛る自分にも気づきつつ、怖くて怖くて、しかも末期がんの母がしじゅう吐いていたときは、冷静な顔で介護しながら自分の身体が切り裂かれるような、よくわからない筒にでもなったようでした。

自分が嘔吐恐怖からちょっと脱することが出来たのは、嘔吐というのはそんなに悪いものではないと知ったときかも・・・・吐くと気持ちがいいんだよ、吐けないことこそ苦しいんだよ、吐くなんて大したことじゃないのよ、吐く、なんて、呼吸と同じようなものよ、大丈夫、大丈夫、そんなふうに自分に言い聞かせて、ほんのわずかに嘔吐の呪縛から逃れられる気分・・・。

わたしがみずきちゃんを前にして、ちゃんと振舞えるのかはわかりませんが、この作文のお姉さんやおじさんの存在が、この作文の作者のショックを和らげたことは間違いありません。

わたしもそんな大人でありたいです。そういえば作文の題名は「あこがれの大人」でした。

今日は微妙に仕事のような用事で遠出をしておりました。みんな頑張ってるなあという元気をいただきました。わたしも頑張らないと・・・・。

松岡宮のプロダクツ&プロフィールのページ更新しました→ ●

「駅員観察日記2」が新しく加わりました!CDともども、よろしくお願いしますね。

また、12月29日(月)の夜更け(21時過ぎ)に、蒲田オッタンタで20分ほどミニライブをさせていただくこととなりました。これまでの会場よりも小さめで、いつものように作りこんだLIVEというよりは緩めのポエトリーになるのかなあと思います。また詳しいことが決まりましたら連絡しますね。

れっつポエトリー。